生命の重み
父「…どぅぉりゃぁ!高い高い!」
息子「きゃっきゃっきゃ♪」
最近のまもなく5ヶ月の息子といえば、「身体中に顎ドリル」と「床から天井へのとても高い高い」がお気に入り。
本人が成長して重くなってきたのもありますが、自分の体重の負荷もあり、毎日やっているとさすがに膝が痛くなって来ました。喜んでくれて本当に嬉しいですが。笑
本当に尊い。
いま心が苦しくなるのは、幼稚園の送迎バスで置き去りになって亡くなったお子さんのこと。
状況からわかったお子さんの様子をニュースで聞いて動揺しましたが、保護者説明会で耐えられず過呼吸になって搬送された保護者もいたという報道に、その現実を目の前にした保護者の方々の気持ちを感じて、耐えがたい苦しみと悲しみが絶えず込み上げてきます。
説明を聞いていると、想像できる明らかな判断ミスや注意欠陥、業務構造の問題。保護者方は、どうにもならなかったのかという想いが込み上げ、余計に憤りや怒りに似た悲しみが行き場を失っているのではないかと、想像しています。ニュースを見ている一児の親でもそういう気持ちになっているからです。
親としての思いと、子どもたちがいる職場にいた経験から、働く現場の人の立場も思うことがあります。
大人の立場では、責任と共に、子供を遥かに凌駕した、場を制する力を持っています。子どもはその力に頼り、安心を得ることで日々を送ることでしょう。
幼稚園の先生や保育士、子どもに関わるたくさんの方々が、気働きを含む多大な業務や組織・人間関係の中でクタクタになりながらも、目の前の子どもたちと日々真剣に向き合っていることとも思います。
ただ、そのクタクタは限界超えてないですか?超えてたら正常な判断が出来ません。疲れのあまり上司のせいにして安易な判断をしてしまうかもしれません。より年齢が若い子どもたちは想像をこえる動きをすることがあります。それをしっかりと捉えることができているでしょうか。
もし、それが果たせない限界を超えた状況にあるのなら、子どものためにそれを好転させる一択しかない。それが本当に果たせない場所なら、あらゆる選択で間接的にNOを示すことも一つの変化にもなると思います。
そんなことを想像しました。それが今回のことに関係するかはわかりません。でも想像しうる場面を思い浮かべました。一瞬の気の緩みで最悪の事態が起こります。
本当にこんな悲しいことがあってはいけない。心からご冥福をお祈り申し上げます。
茶昊
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